あれは俺が11歳の夏のことだ。そのころ、俺には武雄という親友がいた。
武雄は自信家で、運動もできて、喧嘩も強くて、それでいてひょうきんなところもある、とにかく人気者で、なにをやらせてもすごいやつだった。
今でも、子供の頃の自分を省みるときにあいつのことを思い出すことがある。あのころは、武雄にとっての一番の友だちでいることだけが自分にとって誇れることで、あいつの気を引くことばかり考えていたと。それくらい、自分と違うあいつに憧れていた。
でも武雄は突然死んでしまった。夏休みのことだ。真夜中に、大雨をきっかけに発生した土石流で何軒もの民家が流されて大勢が亡くなった。武雄はその被害者の1人だ。
そう。世間ではそういうことになっている。でも俺は本当のことを知っている。
土石流が起こる日の昼の話だ。その日はいつもどおり、武雄と近くの池で釣りをする約束をしていた。あそこにはたまに大きな鯉が現れて、俺たちはそいつをかならず仕留めてやると意気込んでいた。
でも、武雄は池に来なかった。後に災害となる大雨もその時はまだ小雨だった。雨が降っているから、面倒になって約束をすっぽかしたんだろうと思った。
雨と武雄のことを恨めしく思いながら、なんか面白いことは無いかと少し遠回りして家に帰る途中だった。近所の小さな神社の屋根の下、膝を抱えて座る武雄の姿を見つけた。
「おい武雄、まってたんだぞ」
ぶっきらぼうにそういうと、武雄はちいさく「ごめん」と返した。
声が震えていた。武雄のこんな姿を見るのは初めてだった。
「なんかあったん?」
「……」
「言いたくないなら、いいよ」
「誰にも言わないって、約束してくれるか」
「うん」
そういうやり取りが少しあったあとで、武雄はこう話した。
「……大女に……っ、酷いこと、された」
そういったとたん、武雄は溜まっていたものを吐き出すように泣き出した。
武雄が泣いている間、俺は武雄が何歳も年上の大人の女に酷いいじめを受けたんだと考えて、とても腹が立っていた。武雄がこんなふうに泣かせるような、とんでもなく酷い女だと。
何をされたかはわからない、目立った外傷はないようだし、何より武雄は打たれ強いから、暴力じゃなさそうだ。もっと酷いこと。もしかしたら大切なものを壊されたとか、飼い犬のジョーを殺されたとか……。
そんなふうに考えているうち、武雄は泣き止んだ。俺は鼻息を荒くして言った。
「そいつ、絶対こらしめよう」
「だめだ」
武雄はすぐに否定した。
「見かけたら逃げろ。ひと目で分かる。生け垣よりも背が高いんだ。たぶん3メートルくらいある」
武雄がわけのわからないことを言った。男でもそんな背が高いやつはいない。
「頼むから約束してくれ。すぐに逃げるって」
さっきまで泣いていたとは思えない強い語気だった。もう、詳しいことを聞ける空気ではなかった。
「わ、わかったよ」
突拍子のない話すぎて、武雄がなにか夢でも見たんじゃないかとしか思えなかったが、武雄の見たことのない一面をみて、なんだかまた距離が近づいたような気がして嬉しかったし、信じようと思った。
今なら、武雄は俺のことを守ろうとしてくれていたのだとわかる。それに、あいつが神社にいたのは、神様に守ってもらうためだったってことも。
その後のことはよく覚えていないが、ちょっとの気まずさがのこる中、雨の降る神社で話したり遊んだりしたあとで解散した。その頃にはいつもの武雄に戻っていた。
そしてその晩、土石流が武雄の一家を含む大勢の命を奪った。必死の捜索も虚しく彼の遺体だけは最後までみつからなかった。
親戚の集まる席で、酒によった親父から「八尺様」という怪異の伝説を聞かされたのはずっとあとになってからだ。
白装束のありえないほど背の高い女のような姿をした化け物が男児を連れ去るという話だった。不気味な怪物に男児が痛ましい性的虐待をうける場面があり、みんなはホラーテイストな猥談程度に、怖がりながらも楽しそうに聞いていた。
だが、俺にとっては身の毛のよだつような話だった。
何もかも、武雄のことと一致していた。大女と、酷い仕打ち。そして失踪。
武雄は土石流で死んだんじゃない。八尺様に魅入られてしまったんだ。俺はそう確信した。
その後、日を改めて親父に武雄のこと話し、八尺様の話を詳しく聞いた。
親父は八尺様の話をじいちゃんから聞いたそうだ。じいちゃんが子供のころに神隠しが相次いで起こった時期があり、失踪に関する噂話がある種のブームになってたくさんうまれたらしい。
しかし、親父の世代ではこの近辺でそういう失踪事件は起こったことはなく、八尺様の伝説はもはやローカルな怪談話程度に影を潜めていて、恐れる必要はないということだった。
親父は俺を諭した。武雄は誰かから八尺様の話を聞いてそれを夢に見たんじゃなかろうかと。土石流にのまれると、死体は本当にバラバラになるのだそうだ。見つからなくても仕方ない。とにかく悪い偶然が重なったんだと。
俺はしばらく納得がいかなかったが、時間がたつに連れて自然とその解釈を受け入れていった。自分の息子がその恐ろしい怪異に遭遇するとは知らずに。